「考える」を考える

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こんにちは

ミディアミストコウヘイです

 

今回の考えるテーマは

「考える」です

 

何か禅問答のようになっておりますが

毎日私も皆様も何か考えて生きているはずですので

私たちとは切っても切れないキーワードですよね

 

では早速パートに分けて考えていきましょう

考えるとは何か

Googleで検索するとトップに

1.あれやこれやと思いをめぐらす。その事について、心を知的に使って判断する。

2.新たなものをくふうする。考案する。

Google検索 Oxford Languagesの定義

と出てきました

 

1番と2番では同じ考えるという単語でも

何かイメージが違いますね

 

1番は今あるものを組み合わせてソリューションする

2番は新しいものを生み出してイノベーションを起こす

 

そんな感じでしょうか

考えるを使い分ける

2つの「考える」が出ました

ソリューション系とイノベーション系です

 

これってどちらが良いとかではなくて

おそらく使い分ける必要があるのではないかと思います

 

例えば

テレビのリモコンがなくなったときに

「イノベーション系の考える」はいらないと思いますし

新商品を開発するときに向いているのはソリューション系ではないと思います

 

したがって

場合によってこの「考える」という行為を

使い分ける必要があるという事です

 

一方で

リモコンをこれ以上無くさないようにリモコン専用のアラームを開発したい

だったりとか

既存のものと既存のものを組み合わせて新商品が出来上がった

なんて事例もたくさんありますから

一概にそうは言えないのかも知れません

 

私が感じているのは

この「考える」という行為を生活の中でどれだけ最適化できるかが

人生を楽にする方法の鍵なのではないか

ということです

 

いちいち脳みそを問題に応じて切り替えるのって

すごく面倒くさいじゃないですか

 

だったら最初は意識して

ソリューション型とイノベーション型の使い分けができれば

やがてそれが無意識になり自然とできるようになる

 

そうすると脳みその無駄遣いを減らし

結果的に常にベストな状態を保てるのではないか

そう思うのです

危険なのは思考停止

考える事をやめた人って意外と周りにいませんか?

 

例えば

満員電車に乗っていたりとか

みんなでランチに行ったりとか

銀行口座に貯金していたりとか

 

周りがそうしているから自分もそうすべきである

みたいな感じです

 

なぜそれをする必要があるのか

表面だけで受け取って

人の言う事を鵜呑みにして

目の前の事実に従う人達です

 

最も怖いのは

このように考える事をやめてしまい

ただ漫然と生かされている状態(搾取の対象)なのかも知れません

 

一方で先日のブログでは

昔からの風習などにはしたがってみるのもありかもね

みたいな事を書きました

 

矛盾しているのでは?と思われるかも知れませんが

明確に違っていて

思考停止は他者(または世間)からはみ出ないようにしようという考え

風習や慣習は長年人々によって培われた知恵や経験に基づく公式や公理のようなもの

 

常に考え続け

自分にとって、自分に近い人々にとって、社会にとって

何がベストかを捉えることができると

決して思考停止には陥りません

まとめ

考えるという行為は

ソリューション型とイノベーション型に分けられ

その二つを無意識レベルで使い分けることができると

人生を楽に豊にする可能性が高い

 

一方で考えることをやめてしまうと

社会(考えている人と言い換えても良い)から搾取され続け

後には何も残らない人生を送る羽目になる

 

考えないことは非常に危険だが

慣習や風習については先人たちの長年の知恵や経験が詰まったものであり

従った方が良い場合もある

 

そんなところでしょうか

 

取り止めもない文章ですが

自分も考え続けて明るい未来を築きたいと思います

 

それでは、良い1日を!

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